10月
21

気晴らしにドライブしてみた。ついこの前書いたけど、せっかく車があるんだしということで、山梨の方に行ってみた。

気晴らしっていう字、気散しだと思ってたことが結構前にある。なんかこう書くと人材を人財みたいなアレでやだけど。

どうだった?と聞かれれば、まあ気晴らしにはなったのかなという感じで、どうということはなかった。

何が問題って、自分の中で気晴らしということ自体がそれほどいい印象を持って受け止められていないというところが厄介だ。

気晴らしってしていいのかどうか、いまだに少ししていてモヤモヤする。本当に気晴らしして何か効果があるのか、本当にそうやって気晴らしをしていいのかどうかがすごく迷う。

遊びだってそうで、基本的に遊びってなんというか、していいものじゃなくて、勉強しの対価というか、そのご褒美的なものとしてやるものだったから、どうも遊んでいてもモヤモヤしてしまう。

明確な消費行動というのもそれと同じ系譜にあるかもしれない。何かのご褒美的な立ち位置でやるのはいいけど、そうじゃないのはちょっと。
さらに問題というか当たり前なんだけど、金銭を自分で支払うもんだから何か投資可能性を削って消費することになってしまう。時間も限られている。
そんなことをしていいのかという罪悪感が積もってくるもんだから、どうも気晴らしした気になれない。

そもそも、何か普段やっていることでストレスが溜まるから別のことをしましょうということ自体が、何か間違ってるんじゃないかという気がしてくる。
車に乗ってるとつくづくそれを思う。

 

ただ一方でそうやって気晴らしをしなかったり何か普段やってることとは全く違うことをしないと、視野が狭くなって行き詰まるのもなんとなくわかる。
この前twitterで誰かが言ってた気がするけど、遊ぶ能力、才能ってすごく大切で、それを子供の頃全くやってこなかったのでほんと参ってる。

そうやってうまくいかないのをまた親のせいにするのかと言われそうだけど、でも参ったなあと最近思う。

僕の場合というか、これ結構一般的な話なんじゃないかと思うのだけど、本当に感情を動かして娯楽を楽しんでいることってどの程度あるのだろう。たとえば、ソシャゲをしている人とか、電車の中で色々している人たち、週末ショッピングセンターに買い物に行く人たち。

みんな本当に楽しんでやっているのだろうか。僕が悲観的なだけなのだろうか。気晴らしと言って、本当に感情を動かしているのだろうか。とてもそんな風には思えない。なんだか、暇つぶしの一環みたいな感じなのではないか。

そういってじゃあ感情が動くものいうと、パチンコだその辺りが出てきてしまうかもしれない。感情をあまり動かすとそこに中毒性が出てきてしまうみたいだ。

しかし例えば、毎週末バイクでどっかに行くとか、時間を見つけてはサーフィンする、お金がたまればすぐにでもカメラのレンズを買ってしまうと言ったようなこともパチンコにハマったりとかソシャゲに100万使いましたとあまり変わらない気がしないでもない。ただじゃあ何が違うのかっていうと、結局金額の度合い、脳の反応の仕方の度合いの問題で、あまり度を過ぎてお金を使わせてしまったり感情を煽りすぎるとそれは中毒という病気として認定されて、あまり良くないものとされてしまうようだ。

適度な気晴らしが重要です ということで、やっぱり総てはバランスなのかなあと思いながら、試しにしばらく、あまり感情の動かないことをできる限り市内で過ごしてみようと思います。息が詰まって何もできなくなっちゃうかな。

 

2018年10月20日 午後11時30分自宅にて

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B2Cで何かやりたいと思いつつも、迷走中。 ゴミとものの間を彷徨います。 

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