10月
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バンクシーの絵が1億5千万円で落札された直後にバラバラになったと言うニュース。相変わらず、芸術の価値はわかるようでわからない。いや、全くわからない。ここのところ、芸術どころかありとあらゆるものすべてについている価格というものがよくわからなくなってしまった。

ついこの前スルガ銀行がシェアハウスの運営を行おうとするサラリーマンを筆頭とした個人投資家に対して不正融資を行っていたというニュースがあった。その内容についての詳細記事で不動産価値の算定方法についての話が出ていた。

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO36308270Q8A011C1EE9000/

不動産価格のこの話もそうだし、企業価値算定のデューデリジェンスの現場を見ていると、結局価格ってよくわからないんだなっていうことがよくわかる。よくわからないけれども、こうでしょうという価格を出すためにものすごい給料をもらっている人が地道な作業とと共にあらゆる相場を集めて価格が作られていく。価格が上げられていく。そして、買い手に説得していく。

ずいぶん前に書いた日記でもオークションの仕組みの面白さについてずいぶん書いたけれども、どうも価格決定のプロセスのイノベーションにすごく興味があるみたいだ。

普段、生活してる中でお金を支払う時どういう判断をしているかをちょっと振り返ってみる。

例えば今コーヒーを飲んでいる。星乃珈琲店なのでちょっと高い。なぜ向かいにあるドトールではなくこっちに来たかというと、ちょっと座ってゆっくり作業したかったからだ。あと、スフレは美味しい。

コメダ珈琲にいくときも同じ理由で、さらにモーニングサービスの時間だとコメダに行きたくなる。コーヒーは正直あまり美味しくない気がする。

スターバックスはいい立地にあって、ちょっと行きたい時に行く。もしくはある程度の量を飲みたいと思った時にはスターバックスに行く。ただ椅子は座りにくいし、混みすぎていてゆっくりするというイメージは僕にはない。

 

同じコーヒーでもこれぐらい差が出てくる。

なんとなく高いなとか、なんとなく安いなとか、そのぐらいは思うけれども、流石にこの価格差だとあんまり気にする人がいないんだろうか。僕は結構気にしてしまうから、それぞれのお店で、使い分けてる。さっきの作業するしないもそうだし、ルノアールとかだとほぼ待つことないから会議ではルノアールとか。

 

この程度の金額じゃあってことであれば、車とかどうだろう。

車に至ってはもっと複雑だし、よくわからない。

 

車はそもそも前提として、安全に走ることが多少の差こそあれど、法律で担保されているから、走って移動できますというところに関しては差のつけようがない。さらに、性能を上げても公道という場では基本的にその性能を使い切ることはできない。現代では軽自動車で十二分に性能を持っている。その上で、どういう走り味があるとか、どういう外見をしているとか、どういう稀少性があるかとかそういった話だ。

mini とかを見るとその値段の高さに驚く。いくら輸入車で色々大変とはいえ、こんなにも差がついてしまうのかと思う。他方日本車の安さには驚く。

高級車は走りが滑らかとか静かだとか、内装が豪華だとかそういった話があるけれども、そんな差では埋められないぐらい価格差があるような気がする。もちろん、車は量産効果がすごく効きやすいものだからちょっとでも希少性、カスタマイズ性を高めるといきなり値段が上がるというのはわかるけれども、それにしてもだとしたら、価格差はこの希少性という非常に抽象的概念で作り出していることになる。

フェラーリだってそうだと思う。エルメス、ルイビトンとかもそうだけれども、基本的には希少性があることによって価値が発生しているパターンだ。そのためにあえて高くし、数を作らないでもいいような構造にしている。一方で広告は大量に打って知名度を徹底的にあげる。結果としてみんな知ってるけど持っている人が少ないという状態を作り、価値を高めていくということだ。

ただじゃあそんな希少性がある車に乗っていてどうなのか ということを一応”合理的に”考えると、まあ、25億円のベントレーとかやっぱり説明つかないなと思う。

 

車以外にも今途中でちょっといったエルメスだとかルイビトンだとか、そういったものの価格はもはや説明がつかない。

 

じゃあ人件費はどうだという話に、踏み込みたい。

例えば芸能人。芸能人はそのタレント(って今言わないのかもしれないけど)の名前で売られていく。つまり、その人以外では何ら意味がない。その人自身の知名度がそのままその人自身の価格に直結してくる。CMとかは特にそうだ。もちろん知名度以外にもお笑い芸人だったら面白いことを言えるかどうか、トーク力があるかどうか、役者だったらルックス的にどうなのか、役に合う人なのか、ちゃんとこなすことができるのかといった要素も噛んでくるが、正直少しマイナーな舞台とブロードウェイとを見て回っていて確かに基礎技能の差はあるけれど、その差がじゃあそのままそのタレントの人件費の差を合理的に説明しきれているかというとそういうわけではない気がする。

コンサルタントとかもそう会社社長、映画監督、技術者、デザイナーとかも。

じゃあそのついている価格が不当かというと、不当に感じるということはあまり多くないように感じている。様々な場面で様々な見積もりを見せてもらってきたけれども、高い と感じたことはそこまでない。そんなものじゃないかなと思う。むしろもっと上げていくべきなんじゃないかと考えることの方が多い

妥当性についてはBtoCかBtoBかでかなり事情というか、判断軸が変わってくる。

B2Bであればその投資した金額に見合った金額が戻ってこなければならない。BtoCは消費財だからそんなことない。

というのだが、最近BtoBでもこれは一体どういう判断のもとで支払われているんだろう、金額が決まっているのだろうかということをすごく感じるようになってきた。

例えばオフィス賃料。一つ前のどこに住むかという話でもあるけれど、いったい六本木ヒルズに坪なん十万払ってオフィスを構えることにどういう意味があるのかという話だ。自分のデスク一つで月一体何十万かかってるかわからない。その分給料でもらいたいと思う人も少なくないんじゃないだろうか。

一応一定の合理的判断に基づいて入っているのだとは思う。例えば採用活動で有利になるとか、モチベーションが〜 みたいな話だろう。ただこれを合理的であるという風に考えてしまうのであれば、BtoCで完全に消費として捉える行動も合理的であると言えるようになってしまう。高級車を買うこと、高級なアクセサリーを買うことは身に着けることでテンションが上がるので合理的であるみたいな話になる。

 

具体例みたいなのをいくつか並べてきたが、結局何が言いたいかというと価格なんてあってないようなもので、そんな相場観に縛られて生きる必要ないんじゃないか、フリーランスの人ならそんな相場観に縛られて請求する必要ないんじゃないかという話だ。つまりちゃんと説明できるなら正直に話ましょうという話。

急に些末な話になった気もするけど、時給千円でたくさんの仕事を取らなきゃ行けなくてクオリティーが下がっては元も子もない。作ったものの価値を1万円と感じるなら、1万円で売ればいい。1万円で売るところ2万円で売って1万円広告にかけてブランド価値を高めたほうがいいかもしれない。相場なんてあってないようなもので、そこにちゃんとした言葉がつけばそれは合理的なものになり得るのだから。そんな原価から逆算しててもしょうがない。

今自分が安いと感じたら、それはなぜ安いのか。今自分が高いなと感じたら、それは本当に短絡的に相場観から比べて判断してしまってないか。そういう判断のもと買い叩いてしまっていないかを考えないといけない。

 

About the Author
B2Cで何かやりたいと思いつつも、迷走中。 ゴミとものの間を彷徨います。 

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